太兵衛のアンニュイな生活
とかくこの世は『太兵衛に武兵衛(多勢に無勢)』、「越後屋、お主も悪(わる)よのぅ」なんて出来事ばかりで、嗚呼..アンニュイな日々を送りたい。

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福田政治の終焉-1

田政権は短期になるとの事前に予想はされていたが、予想以上に悪い終わり方であったように思う。福田政権が長持ちしないと予想された理由は大きく分けて二つあると私は考えている。一つは福田政権としての理由で、もう一つはより本質的な問題である。

 一つ目の福田政権の直接的な原因と考えられる理由はいくつか考えられるが、ねじれ国会でリーダーシップを発揮できない大方の見方が一番の要因であろう。ただしそれは、民主党に対するというよりは自民党内部の問題という方が大きいのではないか。
 福田政治自体はいわゆる派閥均衡型政治の延長線上の中で生まれてきた。ただ福田氏自身は某週刊誌の言い方に従えば派閥の「オーナー」であって「経営者」ではない。やはり2世議員なのである。彼の取り巻き(森氏など)が実質的な人事的手配者なのであって、彼自身に人的な集約力があるわけではないのだろう。
ただ今回の場合は派閥としての力量を問われているというよりも政策本位の実務家として、福田氏はねじれ国会での「大連立」を視野に含めた調整型の手腕が期待されていたのかもしれない。そこに大きな計算違いが生じたことは間違いないだろう。

 参議院で大敗した自民党は本来ならば、ねじれ国会という状態で直近の民意を反映した野党側に大きく擦り寄らねばならなかったはずだ。民主党は選挙で大勝して強気になり政策で大きな妥協をするわけがないからだ。まして大連立を画策したとすれば、それは自民党批判という民意を否定することとなり、ふつうなら乗り気になるわけがない。
 それでも福田総理は民主党と自民党の調整的な役割を担う必要があった。ところが総裁選の段階から既に麻生氏にかなりの票が流れたように、最初から自民党は割れたままの状態であった。出発の段階で自民党には麻生氏に近いグループと小泉チルドレンなどが福田政権に距離を置いていた。福田氏は内閣を安倍時代のまま据え置くことで一定の影響力を補う狙いがあったのかもしれない。だが結局、福田政権は最後まで党内を掌握できず意見の集約が図れなかったのだろう。仮に民主党と対話して妥協点を探っても、それをもって党内を押し切ることは簡単には出来なかったはずだ。
 そうした意味では彼の進める政策一つをとっても、民主党との対立のみならず党内でも、例えば外交は対米関係で給油問題など党内の一致はみたものの、対中関係では全般的に面白くないと思っていたグループもあったであろうし、今年に入ってガソリン税では暫定税率の扱いに対する方針が食い違うなどして道路族とも意見が割れたりもした。おまけに夏が過ぎて選挙がちらつき始めると、今度は連立相手の公明党が選挙に苦しいとみえて色々と注文をつけてきた。ひょっとしたら大惨敗のデータをもとに福田切りに動いていたのかもしれない。
 こうして民主党からは当然高いハードルを突き付けられたまま、与党内部とは意見の集約が図れない状況では如何ともし難く、身動きが取れないことは容易に推察できる。四面楚歌の状態に近いものであっても小泉政権であれば支持率をテコに影響力を及ぼせたが、すでに支持率が凋落している上に話題性に乏しい性格も災いして、さらには政策も支持を受けるような目立つものが打ち出せないことで再び上がることはなかったのではないだろうか。
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