太兵衛のアンニュイな生活
とかくこの世は『太兵衛に武兵衛(多勢に無勢)』、「越後屋、お主も悪(わる)よのぅ」なんて出来事ばかりで、嗚呼..アンニュイな日々を送りたい。

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日教組シンドローム

教組というと、敗戦まもなく一時期は左翼が強かったこともあって、例えば天皇の戦争責任などを授業中に教壇で堂々と主張した先生もいたそうだ。
そういうこともあって「日教組が‥」などと一部で声高に云われだしたのは、恐らく昭和40年代の学園紛争やその後の荒れた校内暴力に対して、右翼や一部の評論家からさしたる根拠もなく教育批判の意で漫然と使われてきた。
浅間山荘事件を契機に過激な左翼運動は支持を失い、成田闘争もセクト化して学生運動の時代とは結びつかなくなってくるが、いずれも日教組とは何の縁も所縁もない話である。

逆に世間的には学生運動後の学生はシラケ世代で大人しいとか、学園紛争くらいまでは学生がしっかりしていたなどとよくいわれていた。確かに、自分達の権利を自分で勝ち取ろうと行動した紛争世代当事者の人からすれば、元国土大臣の主張とは正反対の意味で、それ以降は権利の上にのっかってごねている軟弱さがみえる人もいるかもしれない。
この間、寅さんの第一作目を放送していたが、まさしくあの時代前後に集団就職で職工さんになった人も、大学で闘争活動に明け暮れていた人も、時代の流れもあろうが、新しい時代に必死に自分なりに考え行動するエネルギーが社会全体から溢れ感じられた時代だった。

その頃と違い左翼思想運動もすっかり失われて二、三十年も経ち、フォークソングもすっかり懐メロとなって、当時からすればはるかに若者も大人しく保守的になった。右翼が望んだ左翼が衰退した社会になっても何も明るくなったわけでもないのだが、ウヨクだけは相変わらず化石のように、何でも都合よく日教組の被害妄想・万能感に支配されたままでいる(※1)。
何を勘違いしたのか、この大臣などは自分の発言さえすれば、政治家の使命だかに酔いしれた国士気取りなのかもしれないが、おおよそ国交省だろうが行政や国民生活などはどうでもいいのであろう。イヤになるほど何回も書いているが、そういう職場放棄のオレオレ政治家が「公」の理念を説き支持を受ける時代となりつつあるのだとしたら、世も末、このブログも閉鎖をするしかない。

※1 『公』の精神というが、『日教組』という名の下に語られていることは、要するに漠然と反日だとか自虐的などの自分に不快なことや、そぐわないものをかき集めて『公』に当てはめ反していると述べているに過ぎない。偏見の見本である。


「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし:朝日
http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY200809260383.html
(わざわざご苦労さま)


子どもの学力の低さ、やはり日教組の組織率と相関性あり─太陽系規模で確認
某瓦斯新聞
http://bogusne.ws/article/107233261.html


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日教組の思い出といえば、一度だけ学校の休み時間に君が代についてのチラシを配られたことがある程度で、ゴミ箱に捨てるのもいたし(※2)、落書き用紙になったり、他の教材プリントと同じようにしまうのもいた。それを機に公共の精神を軽視したり、反日運動?やら反社会活動?に目覚めた生徒などいるわけもない(笑)。日教組といえばその先生ぐらいしか思い付かないが、いわゆる熱血教師で結婚もしていたが、ハンサムだったこともあって女子生徒からは人気もあった。
私は教科が得意なこともあってこの先生に何回か誉めてもらったことを憶えている。担任ではなかったが、その後、ある出来事でその先生とも反目する関係となってしまい(日教組とは関係ない―笑)、私も石頭で、今から思えば先生の仰りたかった意味もよく分かる。懐かしくも、当時は先生の期待に反するような結果になってしまい申し訳なかったと思う。

 一方で私の親の世代は日教組より軍国教師の時代なので、その頃の話を昔は聞かされた。父は九州でも非常に保守的な土地柄の出身なこともあって、特に戦時中は鉄拳制裁が当たり前だったという。例えば忘れ物などすると、私なんかはバケツを持って廊下に立たされたとかグランド周回ぐらいだが、戦時中、父の学校ではその先生により班の連帯責任で、標準語でいえば?「打ち回し」という意の『刑』になる。これは要するにその班以外からビンタを頂戴するのだが、口が開かないくらい顔がパンパンに腫れてしまったらしい。まあ、よく耳や歯が潰れないものだが、もちろん家に帰って忘れたからなんて親に言えないから、腫れたほっぺを言い訳で誤魔化すのに苦労する方が大変だったとか。
殴るなんてことは日常的なので、親友だからといって明らかに手を抜くと先生にどやされたそうだが、慣れているせいもあってか中にはビンタが上手な生徒も結構いたそうで、バシッと綺麗な大きな音をする割には全然痛くなかったそうだ。
近くには有名な海軍の飛行場があって、予科錬か、若い兵隊さんが何度もぶっ叩かれているのをよくみたのだとか。



※2 色々と思い出すうちに恥ずかしくなってくるが、正直に書くと、中学生の頃は部活の先輩が「”チョン”校の奴らに鼻を折られそうになった」(噂)という武勇伝やら、メンマを支那竹と呼べだとか、「日教組教師」など、どうでもいい頭の悪い話を面白おかしくしていたものだ。ひどいもので、ウヨクを馬鹿と言えた立場でもない。そういう『単語』を使いたい時期だったのかもしれない。
先生も昔は暴力的で、私も何度か明らかに日教組ではない先生に殴られたり、棒で小突かれたり、蹴りを入れられたことがある。別にそれで鍛えられたとは私は思わない。


訂正)
ジャンヌ=ダルクというたとえも変だし失礼なので、国士に変えました。
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