太兵衛のアンニュイな生活
とかくこの世は『太兵衛に武兵衛(多勢に無勢)』、「越後屋、お主も悪(わる)よのぅ」なんて出来事ばかりで、嗚呼..アンニュイな日々を送りたい。

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なぜ海外なのか?

は戦争責任を書くにあたって海外の事例だけを引き合いに出して、日本国内の問題についてはなるべく触れないできた。これは意図的にそうしているのであって、別にとりわけ国内の問題に関心がないからではない。もちろんこのことについて書くほうが、最近の世論的な(ネットの?)自虐史観に陥らないという意味では賢明なのかもしれない。
昨年の夏以来、私自身、それまでの考え方が大きく変わってきている。上手くは書けないが(それでもあえて非難を覚悟して書くと)、国内の戦争被害問題ばかりに焦点が向けられてきた日本の戦後の戦争に対する極めて内向きの姿勢が、戦後60年以上経過した今においても全く海外との意思の疎通を不可能にならしめている面もあるのではないかと思ってきている。



思うにこれは戦争についてであることが第一義的な意味で軽視されすぎている気がしている。つまり戦争とは相手があってこそ成り立つもので、その相手となるのは当然日本ではない。
原爆、空襲、特攻、玉砕、大和-これらは知っていても海外での日本軍の行為は殆ど知られていないか耳をふさごうとする。ここにきて戦後の日本に加害に対する『反省』という言葉がなかったことにしたいのは中韓より、実は日本人自身の方ではないかと疑いたくもなる。昨年か産経だかの対論(誰だか忘れた)で、日本人はあの戦争を間違ったものだ思っていないという話があったそうだが、最近の流れをみるとその通りなのかもしれないとも思える。事実などどうでもいい、とにかく日本が悪く言われないようにすることが、これからの新しい日本のアイコク心なのだろう。
海外を批判することは実に簡単で支持を得られやすい。彼らはネットウヨクのように翌日大量に日本語で文句を垂れてこない。だが英語のサイトとなると別である。誤謬にもとづいた内弁慶的な国内論法が通じるわけもない。彼らもまた肉親を日本人に殺されたのだ。そういう見方もあるでは済まされないだろう。


最後に挙句は互いに理解しあうのは不可能だとか切り出す。理解し合おうがしまいがそんなことはどうでもいい、それが現実なのだ。そこから逃げ出すのは単なる甘えにしか過ぎない。向き合う以外に何も許されないことを私は戦死者からメッセージとして堅く信じている。

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